深見東州

深見東州(半田晴久)の全てがここに!細かい活動内容など日々UP。

ワールドメイト深見東州

インターネット検索すると実に多くの深見東州氏のことについて多くの方がブログなどで話題にしています。

ファンもいればアンチもいる状態ですが、私は深見東州氏の活動に焦点を置いて素晴らしい活動をお伝えしていきたいと思います。

福祉活動について

 

カンボジア

 

 

●24時間無料救急病院(シアヌーク病院)を建設

 

 カンボジアはアジアの最貧国であり、 20年近い内戦によって国土は荒廃し、国民の平均寿命は53歳。 知識階級は虐殺され、現在、医師の数は人口 30,000人当たりわずか1人です。(日本は500人に1人)

 

この現状に心を痛め、半田氏が代表を務める団体では、1996年12月、カンボジアの首都プノンペンに、 24間無料救急病院シアヌーク病院 を建設しました。カンボジア政府から無料で提供された土地に、丹下健三氏無料設計による二階建、 40 ベッド、緊急集中治療設備を擁した近代的な 24 時間体制の救急無料病院が完成したのです。この病院の運営は、 半田氏の団体が毎年2億円の運営費を拠出し、 半田氏の団体 と米国医療法人「ホープ」が、同等のパートナーとして協力して行なっています。

カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院 

シアヌーク病院

 同病院では、 1996年12月から2012年12月までに、117万人を越える患者が訪れ、全て無料で診療を行なってきました。(1996年12月~2012年6月までに、33万3173人の救急医療、21万7430人の医療外来患者訪問、33万7680人の医療特別クリニック、16万4411人のCRC患者訪問、7万3941人の外科診療、3万4961人の移動クリニック&遠隔治療。さらに、9567人の内科入院、8119人の外科入院、1万4350件の手術&処置を行ってきました)

 

 病院には、約400人のカンボジア人スタッフと、二十数名の欧米人スタッフらが勤務しています。また、カンボジアに250あるNGO のうち、シアヌーク病院は規模も最大であり、グローバルファンドにおける 250のNGOの代表にもなっています。

 

カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院 

カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院 

カンボジア 24間無料救急病院シアヌーク病院 

 

 

コマンドール勲章を授与

 

半田氏の団体の寄付により、 2003 年1月に第二病棟が完成した時、シアヌーク国王が決心され、 半田氏 は団体の代表として、民間で初めてコマンドール勲章を授与されました。これは、カンボジア王国の最高位の国家勲章の一つであり、外国人に与える最高の勲章だそうです。 

 

コマンドール勲章を授与 当時のシアヌーク国王と

当時のシアヌーク国王と

コマンドール勲章を授与

コマンドール勲章の証書 

 コマンドール勲章の証書

 この第二病棟は4階建てのビルであり、主に現地の医師や看護婦、レントゲン技師などを育成し、国内の他の主要医療機関に派遣したり、教育研修をするものです。

 

 そして 2004年11月1日には、同団体の寄付により、第三病棟が完成しました。カンボジアNo.1の医療レベルと、医療の総合教育を進めるセンターとして、エイズやマラリアの撲滅や治療を進め、活発な国際会議を主催して啓蒙する活動にますます貢献できるようになったのです。

 

第二病棟

 第二病棟

第三病棟

第三病棟 

 

 

 

 

●クメールルージュの犠牲者への救済により、モニサラポン・テポドン勲章を授与

 

 カンボジアでは、半田氏の団体は、クメールルージュ(ポルポト派)に、夫や子供を虐殺された犠牲者の遺族3万軒に、義捐金を渡すセレモニーも行っています。

 

 カンボジアでは、 1970 年代後半、クメールルージュが、 300 万人もの国民を虐殺したと言われています。国民の半数にあたります。そして、後に残された未亡人や子供たちは、心のトラウマを抱えながら、今なお、カンボジアで最貧生活を送っているのです。

 

 多くの人は、元中産階級だった婦人達で、ある日突然市内に爆撃があるとだまされ、市中を出たまま、帰れなくなったのです。また、虐殺のキリングフィールドを目撃し、逃げのびた人達ばかりです。その中の約2割の未亡人は、身寄りもなく、お金もないので、お寺に住んで死ぬ準備をしているのです。小乗仏教ヒンズー教が結びついた仏教なので、人々は、僧侶に毎日施しの食事を持って来ます。それを、僧侶が食べた後、彼女たちがその食べ残しを食べるのです。現金の収入は全くありません。雨風をしのぐ場所と、食べ残しの食べ物があるだけでも、彼女らには有り難いことなのです。この人々に、一般人の半年分の収入になるお金( 100 ドル=1万 2000 円)とお米を、半田氏が支援団体を代表して、手渡しで授与するのです。

 

 しかし、お金はあくまでシンボルです。最も大切なことは、お金を通して伝えるメッセージであり、一人一人の虐殺の体験を残すことです。候補者を選ぶ時に、全員にインタビューし、全員の体験を記録しているのです。

 

 この主旨で、最初に半田氏が3千万円寄付し、半田氏の団体が1億円寄付しました。これで、当初は1万世帯の遺族を救済する予定でした。しかし、2007年1月、半田氏の決断により、基金の額をもう 200 万ドル(2億4000万円)増やし、合計330万ドル(3億9600万円)にして、1万世帯の救済から3万世帯の救済に、規模を大きくしたのです。

 

 これまで、すでに4回の授与式が行われています。( 2007年5月現在)

 

 犠牲者の方々は、毎回、「今まで、こんなことをしてくれた人は、誰もいなかった。本当に嬉しい」と号泣して、半田氏から手渡しでお金と米を受け取っています。そして、半田氏はスピーチで、毎回、犠牲者の皆さんにこう言っているのです。

 

 

 

 「ポルポトを恨むことなく、自分の運命を呪うことなく、全てを許しましょう。そうすれば、自分自身が救われます。この半年分の収入とお米で全てを償うことは不可能です。しかし、みなさん、全てを許して下さい。そうすれば、きっと不幸と不運に見舞われた自分の過去が洗われ、これから生きる勇気と元気が出てくるはずです。そして、皆さん、必ず幸せな余生を送って下さい!」

 

 そして、一人ひとりにお金を渡しながら、クメール語で、「アーユー、ウエーンナホール。コンプロンプレーン。(長生きして下さい。元気出してね!)」と声をかけていくのです。その言葉を聞いて、また号泣する人が何人もいます。

 

 この模様は、毎回テレビのニュースで放映され、国民の全てが感動し、勇気づけられているのです。

 

 2006年10月、このクメールルージュの犠牲者への救済により、半田氏は団体を代表して、カンボジア政府より福祉分野での国家最高勲章、モニサラポン・テポドン勲章を授与されました。

 

クメールルージュの犠牲者に対する救済で、 団体を代表して、福祉分野での国家最高勲章も頂きました。

クメールルージュの犠牲者に対する救済で、 団体を代表して、福祉分野での国家最高勲章も頂きました。

 

 

カンボジアに小学校を10校建設

 

 カンボジアでは、つい数年前までクメールルージュ(ポルポト派)が国の一部を占拠して、武力による圧政を行っていました。ポル・ポトが政権を握った 76 年に紙幣は廃止され、市場は閉鎖。外国語はもちろん、音楽・歌・詩も禁止、恋愛禁止。仏教も禁止され、寺院や仏像は破壊され、その破壊的な統治は、政権を追われた後も、地方に場を移して十数年以上続き、その間なんと、当時の全人口の約半分にあたる 300 万人以上の国民が殺されたのです。

 

 特に、「眼鏡をかけている人」すなわち知識階級の人間は、ことごとく命を奪われました。その結果、カンボジアの学校や教育制度は完全に破壊され、現在、カンボジアには学校のない村が 3000 以上もあり、子供たちは読み書きさえ習うことができません。

 

 また学校があるところでも、そのほとんどが野外授業のため、雨風や照りつける太陽にさらされています。こうした現状を聞き、 半田氏が代表を務める団体 では、カンボジアの最貧地域に「屋根のある小学校」を 10 校寄贈しました。そして、今も毎年2校ずつ建設しています。

 

小学校〔背後の建物)の開校式に、多くの村人が集まりました。

小学校〔背後の建物)の開校式に、多くの村人が集まりました。

カンボジアに小学校を10校建設

 

 

●フンセン小学校プロジェクト

 

 さらに、 2005年からは「フンセン小学校」プロジェクトも始まりました。

 

 貧しい地域の子供たちのために、小学校の校舎を 20 校建設したいというフンセン首相のご希望を、半田氏が受け、半田氏が代表を務める団体が支援しているものです。

 

2007 年5月現在、すでに 11校が完成し、さっそく授業が開始されています。近くに小学校が全くない地域ばかりなので、大変喜ばれ、感謝されているのです。

 

 残りの9校も現在建設中で、 2007年中に全て完成する予定です。そして、全 20 校が完成した暁には、カンボジア政府主催の祝賀セレモニーが行われる予定です。

 

 なお、これらの校舎には、皆のあたたかい支援によって建設されたことが明記されます。

 

 

 

●「未来の光 孤児院」を支援

 

 この他、 同団体 では、プノンペン郊外にある「未来の光孤児院」( Future Light Orphanage of Worldmate )において、約 300 名の子供たちのための支援を継続的に行っています。

 

半田氏が代表をつとめる 同団体および 株式会社菱研では、孤児院内に寮やコンピューターハウスを建設し、寄贈。その他、半田氏や菱研会員の中の希望者が子供たちの里親となって、生活費と学費を毎月仕送りしています。そして、それがもう 11年も続いているのです。

 

 この孤児院では、単に孤児たちを預かる施設としてだけでなく、やがて大きくなって施設を出ても、高い文化レベルで自活して、ひいては孤児たちがカンボジア再建に尽力する優れた人材になれるよう、半田氏の支援で英語の授業とコンピュータの訓練なども行われています。無論、その講師達の給与も、半田氏の団体が毎月負担しているのです。

 

 これらの活動が評価され、その後、「未来の光孤児院」の設立者であるヌオン・パリー院長は、 1994 年にフランスのフィガロ賞を、 1998年にはアジアのノーベル賞と言われる、フィリピンのラモン・マグサイサイ賞を受賞しました。 

 

 今ではこの孤児院での教育は、一般の学校からも羨ましがられるレベルに達しています。そして、半田氏もこの孤児院の会長を務め、益々支援の輪を広めているのです。

 

孤児達と一緒に

孤児達と一緒に

コンピューターハウスにて

コンピューターハウスにて

 

 

●身体障害とエイズの孤児のための基金

 

 カンボジア全土に孤児院は 170 カ所あり、およそ1万5千人ぐらいの孤児がいるそうです。日本は人口1億3千万人で、孤児院にはおよそ2万5千人います。カンボジアは現在人口が 1400万人で、孤児が1万5千人いるのです。つまり、日本の約5倍の孤児が居るわけです。(なお、日本の孤児達のうち 3 分の 1 の1万3千人に、毎年半田氏の団体では、クリスマスプレゼントを贈っています。これについては、 児童福祉 の項をご参照下さい) 

 

 半田氏はカンボジアの厚生福祉省の大臣に、「現在カンボジアの孤児にとって、何が最も切実な問題なのですか」と尋ねました。すると、大臣はこうお答えになったそうです。

 

「それは、孤児達の約 10 %強が、身体障害とエイズにかかっていることです。これをやろうとしたNGOもあったのですが、手を引いてしまい、現在最も切実に困っていることです。エイズにかかっているかどうかを調べるための、血液検査の資金もないのです。」

 

 これを聞いた半田氏の提案により、「身体障害とエイズの孤児のための基金」を、 100 万ドル(1億2千万円)で作り、カンボジア政府と半田氏の団体が協力して救済する、新しいプロジェクトがスタートしたのです。 

厚生福祉大臣と話す半田氏

厚生福祉大臣と話す半田氏

カンボジアのニューリーダー育成

 

 半田氏は、カンボジアの総合私立大学、カンボジア大学の初代総長も務めています。

 

カンボジア大学の校舎の入り口

カンボジア大学の校舎の入り口

カンボジア大学開校式。フンセン首相が臨席しました。

カンボジア大学開校式。フンセン首相が臨席しました。

 カンボジアには、これまで6つの国立大学と若干の私立大学はありましたが、政治・文化・経済系の総合大学はありませんでした。そこで、同国の次期世代のリーダー達を育成するために、「カンボジアハーバード大学」をめざし、 2003 年に設立されたのがカンボジア大学です。同大学は、国際レベルの MA や Ph.D を取得できるカンボジア唯一の大学でもあります。

 

 この大学の設立に際し、半田氏は初代総長の就任を依頼されました。カンボジアの貧困者のために、 11 年以上もの間、病院や学校を造り、また、孤児院などを運営してきた実績が評価されての依頼でした。そして、設立2年目にあたる 2004 年には、生徒数が2千名に増え、大学入試の国家統一テストの上位 20 名が、総長支援の奨学生として入学しています。そして、設立4年目になる 2006 年には、政府の教育機関により、カンボジア No. 1の大学教育レベルの評価を得ました。

 

 それから 2007 年より、フンセン首相の提案によって、「サムデック・フンセン・ハンダ・ナショナル・スカラーシップ」が始まりました。これは、カンボジアの全ての高校から最も成績優秀な生徒を選んで、奨学生としてカンボジア大学に入学許可し、4年間の授業料を全て負担するものです。合計 500 名が、奨学生としてカンボジア大学で学ぶことができるのです。

 

 また、半田氏は、 ASEAN が認める唯一の国際機関である国立カンボジア平和協力研究所( CICP )の、副総裁にも任じています( 2002 年就任)。

 

 

そして、半田氏が代表を務める団体では、ここにカンボジア初の「日本文化・経営研究センター」を設立しました。ところで、この研究所の総裁はシアヌーク元国王の弟で、元外相、当時副首相のシルブッド王子であり、現在、 ASEAN のニューリーダーをシルブッド王子と共に、カンボジア大学総長及び CICP の副総裁として、多くの国際会議を開き、幅広く育成しているのです。  

 

 

【アルバニア】

 

 

●小学校と職業訓練校を寄贈

 

 ヨーロッパで最も貧しいと言われる国、アルバニア。

 

 この国では、多くの子供たちが貧困のため就学できず、また学校へ行きたくともその建物もなく、屋外や青空教室で授業を行わざるをえない状況なのです。

 

 そこで 2001 年5月、アルバニアの中でも最貧地域のブトリントに、半田氏がリーダーを務める団体では、最初の近代的な小学校を建設し、寄付しました。

 

校舎入り口には日の丸とアルバニア国旗が飾られました

校舎入り口には日の丸とアルバニア国旗が飾られました

 開校式には、当時のアルバニア大統領メイダーニ氏も列席。他にも政府高官や報道関係者、近郊の住民などが大勢詰めかけ、まるで国を挙げての慶事といった趣でした。それは、民間の日本人が支援する最初の活動だったからです。

 

 またアルバニアでは、社会主義政権の崩壊によって多くの頭脳が国外に流出し、専門的な技術を持つ人材が圧倒的に不足しており、職業訓練学校の開設が求められていました。この要請を受け、同団体では、初の職業訓練校もジロカストロ市に建設しました。

 

 また、ジロカストロ市の近くで、近隣8つの村の9千人の村人が使う病院が、あまりにも荒廃していたので再建し、近代的な病院として蘇ったのです。

 

 半田氏はその後、団体の代表者としてジロカストロ市の名誉市民にもなりました。

 

 

【オーストラリア】

 

 

●日本語を学ぶ学生へ、日本留学支援スカラシップ

 

 西オーストラリア州の州都パース市にある、西オーストラリア州立カーテン工科大学では、半田氏がリーダーを務める団体が 17年以上にわたってスカラシップを続けています。

 

 このスカラシップはオーストラリアにおける最古、最長の日本語学習奨学制度であり、大きな実績と高い評価を得ているものです。このスカラシップにより、日本語を学ぶオーストラリアの学生の中でも、特に成績優秀な学生が毎年二名ずつ、日本へ留学しています。

 

日本語を学ぶ学生へ、日本留学支援スカラシップ 

スカラシップに感謝を述べる奨学生のドン・カメロンさん

スカラシップに感謝を述べる奨学生のドン・カメロンさん

 

 

●オーストラリアン・シンギング・コンペティションを支援

 

 「オーストラリアン・シンギング・コンペティション」は、オーストラリアで最も権威のある声楽コンクールです。このコンクールは将来性のある声楽家たちを大きく育てようという趣旨で行われ、奨学金として与えられる賞金総額は9万オーストラリア・ドル(14種類の賞の総額)。

 

 このシンギング・コンペティションは、今までに素晴らしい歌手をたくさん生み出してきました。ここで賞をとると、世界でも屈指の先生に学ぶことができ、また世界のトップレベルの音楽家たちと協演できるからです。まさに、このシンギング・コンペティションは、世界レベルでの活躍への登竜門だと言えます。このコンペティションは、 1998 年からは、オーストラリアオペラ協会と NPO 法人世界芸術文化振興協会の共催で行われています。また、優れた声楽家の留学を支援するために、 IFAC 会長である半田氏の名前を冠した “ハルヒサハンダオペラスカラシップ賞”を授与しています。

 

 

 

●オーストラリアン・オペラスタジオを設立

 

 半田氏が代表を務める NPO 法人世界芸術文化振興協会では、世界的なバリトン歌手グレゴリー・ユーリシッチ氏と共同で、パース市に「オーストラリアン・オペラスタジオ( Australian Opera Studio 〔略称: AOS 〕)」を設立しました。同校の生徒は、音楽大学卒業レベル以上の実力をもつ、新進アーティストたちです。このオペラスタジオは、本当に才能と可能性ある彼らを、さらに世界超一流の舞台で通用するトップアーティストに育てるため、実演オペラやコンサートを通して育てる教育機関であり、世界でも類を見ない試みとして、各国の音楽関係者からも注目を集めています。

 

 世界三大テノールの一人プラシド・ドミンゴ氏が名誉総裁に就任しています。 このスタジオの模様は、 MX テレビで詳しく紹介されました。

 

 

 

●ハンダスタジオを寄贈 ハンダスタジオを寄贈 

 

 西オーストラリア州立エディスコーエン大学では、半田氏が代表を務める団体より「ハンダスタジオ」を寄贈するなど、教育支援を行っています。

 

 

 

 

 

●スピーチ&ヒアリングセンターに図書館を寄贈

 

 オーストラリアでは、国民の7人に1人は耳が悪いのです。理由は、幼児の頃からプールに行かせる習慣があるためらしいのです。

 

 そこで、半田氏がリーダーを務める団体では、耳の不自由な子供達がもっと楽しい人生を送れるようにと、西オーストラリア州パース市にあるスピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、専門図書館兼遠隔教育センターを設立しました。

 

 

スピーチ&ヒアリングセンターにて

 同センターは、支援団体の代表である半田氏の名をとって、「半田センター」と命名されました。

 

 同センターのポール・ヒギンボサム所長は、次のように感謝しています。

 

「半田センターができたことによって、聾唖者と関わる職業の人や家族は、一般の図書館では手に入りにくい書籍や雑誌、ビデオ、 CD-ROM 、その他の専門図書を手にすることができるようになりました」

 

 

 

西オーストラリア州ブラインド・スポーツ・センター設立

 

 西オーストラリア州立カーテン工科大学の調査によると、盲人は病気の発生率が高いという統計が出ています。その原因のひとつとして、外へ出る機会が少ないことがあげられています。このことから、これからの盲人福祉は、一人ひとりを個別にケアするより、盲人スポーツの振興に務める方がより重要な課題であるとして、半田氏の率いる団体では、西オーストラリア州に、代表者である半田氏の本名を冠した「ハンダ・スポーツ・アカデミー・アンド・レクリエーション・センター」( Handa Sports Academy and Recreation Centre )の設立を決定しました。 2007年9月に完成する予定です。

 

 半田氏の率いる団体は、 19年間にわたって西オーストラリアの盲人ゴルフ協会を支援し、盲人のオーストラリアンオープンを後援してきましたが、これで、盲人福祉への支援活動が一層幅広く、大きなものになったのです。

 

 

【日本】

 

 

紺綬褒章を受章

 

2005 年6月、紺綬褒章を受章。

 

 

【人権擁護と人権教育】

 

 

●オーストラリアでの人権教育

 

 幸せの基準は人によって違いますが、少なくとも人権がある程度保障されていることは、人間としての幸せの最低基準を保証することにつながります。そこで、人権教育を進めるために、半田氏が代表を務める団体では、西オーストラリア州立カーテン工科大学に、人権教育のチェア(講座)を開設しました。これは、まさにオーストラリアでは初の試みでありました。おそらく、南半球でも初のことであり、世界でも類を見ないものと言われております。

 

 オーストラリアでは、人権問題は政治団体と結びつきやすいため、人権教育の国家レベルでの教育が遅れており、政治的に中立を保つこのチェアの開設は、非常な注目を集めています。

 

 チェア開設を支援した団体の代表である半田氏は、オーストラリアの全国人権教育委員会より、「 Citizen of Humanity 」(国際名誉市民)の称号を後に授与され、オーストラリアの国家レベルでの人権委員会のコミッティーにも選ばれています。

 

西オーストラリア州立カーテン工科大学にて

西オーストラリア州立カーテン工科大学にて

 

 

カンボジアでの人権教育

 

 半田氏が会長を務める IFAC では、カンボジア大学に人権教育のチェア(講座)を開設しました。

 

 カンボジアでは、内戦によって 200 万~ 300 万人の国民が虐殺されたと言われています。このような虐殺が二度と起きないように、カンボジアでは特に人権委員会の設置と、人権教育の確立が必要です。カンボジアでの人権教育 

 

 そこで、国家レベルでの人権教育を推進するために、 IFAC の支援により、半田氏が総長を務めるカンボジア大学に、アジア初の人権教育のチェアが新設されたのです。また、現在この大学が中心となって人権の国際会議が開かれ、またカンボジアの国家レベルの人権委員会が設立される予定です。

 

 【児童福祉】

 

 

●クリスマス・チャリティ

 

  半田氏が代表を務める団体では、毎年クリスマスに、日本全国の児童養護施設の子供達に、文具や時計など、毎年中味をかえたクリスマスプレゼントを贈っています。

 

  サンタクロースの装束に身を包んだボランティア達が、全国の施設の子どもたち一人ひとりにクリスマス・プレゼントを配って歩きます。施設によっては、外部からのプレゼントを辞退する所もありますが、サンタクロースによるプレゼントを喜んで受け入れてくれる所も沢山あります。

 

  最初は、1施設 10 人に満たない子どもを相手に始めたこの試みも、今では全国約 200 の施設、1万4千人弱の子どもたちに膨らんでいます。これは、日本全国の孤児数の3分の1に相当する数字です。 

 

 

 

 

 

プレゼントをお届けした、全国の児童養護施設・母子寮から頂いた「お礼状」「感謝状」

プレゼントをお届けした、全国の児童養護施設

母子寮から頂いた「お礼状」「感謝状」

 

 

 

 

●中国やカンボジアで福祉を行う理由

 

 半田氏が代表を務める団体が、中国やカンボジアでの福祉 --- 特に児童福祉に力を入れている理由について、半田氏は次のように説明しています。

 

 「日本にも困った人が沢山いるのに、なぜ 中国 や カンボジア 、 アフリカ の救済に励むのかと尋ねられることがあります。

 

 それは、カンボジアがアジアの最貧国であり、アルバニアがヨーロッパの最貧国であり、中国山間部が世界の最貧地域だからです。中国の辺境では、年収約 6000 円、つまり月収が日本円で約 500 円の最貧農家がたくさんあります。

 

 日本で困っている人も助けてはいますが、その困っている度合は、比べものにならない程悲惨なものです。

 

 中国の辺境やカンボジアは、日本でいえば明治のはじめのような状況にあります。その中で、日本人が建てた小学校を卒業した子供たちは、成長してからも、日本人に対して良い感情を持つようになるでしょう。

 

 特に中国では、『井戸水を飲む時は、井戸を掘った人の恩を忘れるな』と言います。受けた恨みも忘れないですが、受けた恩も忘れないのです。

 

 この子供たちが、将来、たとえ小学校を寄付した私の団体や私の名前は忘れたとしても、日本人全体に対して好意的な感情を持つようになり、長い目で見た直接的な日中友好に役立つことができれば…と願っています。

 

 また福祉とは、そこに人的なつながりがあり、切に求められているからこそ、実行が可能となります。ですから、人的なつながりがあり、可能なところから支援を行っているのです」

 

 

 

【中国】

 

 

●「春蕾(しゅんらい)小学校」130校建設計画

 

 中国は、北京・上海など沿岸の都会は、近年めざましい発展を遂げつつあり、西側諸国とほとんどかわらない豊かな情報と富と物資に恵まれています。しかし、西部地域をはじめとする、目立った産業のない地方の生活水準は低く、日本の一昔前のような、極端な貧しさの中に取り残されています。こうした辺境地区には、家計の貧しさから義務教育すら満足に受ける余裕がなく、小学校の途中でやむなく自主退学し、働き始める子供も多くいるのです。 

 

 中国では、都市部のめざましい発展にともなって、地方との格差が年々深刻になりつつあります。辺境地方では学校自体の数も少なく、また、建物はあっても照明器具はなく、倒壊する危険度の高い老朽化した危険建物だったりと、ふつうの義務教育を当たり前に享受できない子供たちが、現在でも 100 万人以上いるのです。 そして、そのほとんどが女子の子供達です。

 

 こうした現状を聞き、半田氏が会長を務める特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会( IFAC )では、中国の最貧地区に 130 校の小学校を寄付することを、中央政府の中国児童少年基金会、及び中国婦女連合会に申し出ました。  

 

 2000 年4月から向こう 13 年間で毎年 10 校ずつ、 IFAC の寄付により、中国児童少年基金会と地元の教育委員会の三者が協力し、 130 校の建設が始まりました。2012年までに、130校が建設されました。寄付金総額は 13 年間で 3000 万元(約4億5千円)にのぼる見込みです。半田氏は、毎年この資金の捻出に大変苦労し、また努力をしているそうです。

 

 そして、このプロジェクトでは、校舎の建物を寄贈するだけでなく、学内の備品や 1000 冊以上の蔵書の図書館、またスライドやコンピューターなどの機材も提供し、ビジュアルで勉強できるような設備も整えています。

 

総出で半田氏を出迎えてくれた子供たち。

総出で半田氏を出迎えてくれた子供たち。

中国人との区別をつけるため、公式の場では常に羽織袴を着用します。

 

総出で半田氏を出迎えてくれた子供たち。

 

 

 さらに、日本の学校の体育館や講堂にあたる「露天舞台」(野外の簡易ステージ)を作り、開校式では、この舞台を使って中国の伝統芸能である京劇公演や歌、踊り、漫才などを開催し、生徒だけでなく、地域の人達全員が楽しめるようにしています。こうした文化的催しは、貧しい地方では何年間に一度あるかないかのことで、近隣の村から何万人もの村人が見物に集まってきます。

 

IFAC が進めている「春蕾小学校計画」は、教育の振興と文化芸術の振興という二本柱の計画なのです。

 

「春蕾(しゅんらい)小学校」130校建設計画 

「春蕾(しゅんらい)小学校」130校建設計画 

 

 

 

 2000年3月29日「中国新聞

2000年3月29日「中国新聞

 

 

『日本の友人深見東州氏《春雷小学校》100校を建設』

 世界芸術文化振興協会会長深見東州氏は、中国児童少年基金会に3000万人民元を寄付、中国に100校の“春雷小学校”を建設することとなり、本日、人民大会堂にて契約式典が行われた。これは、中国児童少年基金会成立以来、最高額の寄付金である。

 深見東州氏は、精華大学や浙江大学などの客員教授を務め、日中文化交流と友好活動のために積極的に貢献してきた。彼は、“春雷プロジェクト”について聞き及び、惜しみない資金援助を申し出、中国の貧困地域における百校の“春雷小学校”建設を決心した。

新聞記事画像をクリックすると、拡大してご覧いただけます)

(※2000年から10年間で100校の小学校を開講。さらに、2010年から3年間で30校の小学校を設立・開講した)

 

 

 

●「春蕾 (しゅんらい)計画」

 

 中国では現在、中央政府による貧しい子供たちへの教育援助のプロジェクトが大きく二つあります。

 

 中国共産主義青年団による「希望プロジェクト」は、貧しい青少年が、良い教育を受けられるように支援することを目的としたものです。そして、中華全国婦女連合会のもと、中国児童少年基金会(宋慶齢基金会ともいう)が進めている「春蕾計画」は、貧困に苦しむ女児を支援するものです。

 

 いずれも、子供たちが義務教育にふさわしい場で教育を受けられるよう、危険校舎の修築や学校設備の充実などに取り組んでいます。この二つのプロジェクトによって、多くの貧困地区において、退学した子供たちが新たに復学しているのです。

北京の女子高校に進学することができた「春蕾クラス」の女子生徒たち

北京の女子高校に進学することができた「春蕾クラス」の女子生徒たち

 

 

●貧困地区の成績優秀な女生徒の「春蕾 ( しゅんらい ) クラス」を支援

 

 この他、 IFAC では「春蕾」高校クラスのために 72 万元を寄付し、学校に通う女子生徒の北京での学習を支援しています。

 

 「春蕾」高校クラスの女子生徒 30人は、中国全土の11の貧しい少数民族地区出身の優秀な生徒ばかりです。中国では、「一人っ子政策」の影響で、貧困地域では女の子は戸籍に入れられない場合も多くあり、女の子は学校に行かなくても構わない、という考え方が一般的なのです。捨て子も、女の子が圧倒的に多いと聞きます。

 

 北京市内の近代的な中学校内(中国の中学とは、中学と高校を含めたもの)に、中国全土の少数民族のうち 30 部族から、特に優秀な女の子を一人ずつ代表で集めた「春蕾クラス」があります。彼女たちの学費は、当初、香港のある事業家が好意で出資していたのですが、近年事業不振に陥ったため、高校卒業を待たずに支援は打ち切られる予定でした。そこで、半田氏が代表を務める IFAC が、「春蕾クラス」の30人の「義理の父親」となって、支援を継続することを申し出ました。女生徒達は絶叫するほど喜び、感謝して一層勉学に励むことを誓いました。

 

 この女生徒達は、 IFAC の支援によって三年間の高校生活を送ったあと、それぞれ大学に進学し、勉強を続けました。そして、 2007年6月に、全員が無事に卒業しました。卒業後、一人は大学院に進み、多くは北京で良き仕事を見つけ、何人かは郷里に帰りました。そして、彼女達はそれぞれの少数民族の、未来のリーダーになっていくのです。

 

 

 

※「春蕾」高校クラス卒業後、彼女達は以下のような大学へ進学しています。

 

 首都経済貿易大学、北京化学工業大学、中国農業大学、北京工業大学、北京工商大学、首都師範大学、北京聯合大学、華南農学院、中華女子学院、他。

 

春蕾クラス同窓会(2007年4月)

春蕾クラス同窓会(2007年4月)

春蕾クラス同窓会(2007年4月)

 

 

●「春蕾クラス」

 

 中国児童少年基金会の「春蕾計画」では、就学機会の少ない貧困な少女を対象に、学校で寄宿しながら小学校教育を続けられるよう、「春蕾クラス」の設置も行っています。春蕾計画は 1986 年からスタートし、これまでに 90 万人の女児を援助してきています。投入された費用は、延べ3億人民元。それでも中国全土には、まだ 100 万人の教育を受けられない子供たちがいるのです。

 

 これらのプロジェクトは、国庫金だけでなく、民間人の多大な寄付によって成り立っています。そして、半田氏が率いる団体が、その中の最高、最大の支援団体なのです。

 

 

 

●「春蕾芸術クラス」を支援

 

 天津市三毛芸術学校には「春蕾芸術クラス」があります。

 

 このクラスは、半田氏が会長をつとめる特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会( IFAC )の支援により、 2001年9月に、芸術分野の才能に秀でた中学1年生の女子生徒11名で編成されました。皆、中国の貧困地区から集まってきた女生徒たちです。 IFAC 代表である半田氏は、彼女らの「義理の父親」として、この学校を訪問、教育費を支援しています。第一期生は、 2004年に全員が無事に卒業しました。

春蕾芸術クラス

春蕾芸術クラス

 

 

●春蕾樹人学校クラスを支援

 

 2001年9月、 IFAC の支援により、北京市私立樹人学校に「第2期 東州春蕾クラス」が開設されました。生徒数は 32 名。第1期と同じく、成績優秀ながらも、貧困から中学に上がれない女子生徒を、中国全土から集めて作られたクラスです。

 

 初等中学(日本の中学校)1年に入学した生徒達も、 2007年には、大学受験を控える高等中学(日本の高校)3年生になりました。

 

 このプロジェクトを支援している IFAC 会長・半田氏に対し、生徒達は皆、心から感謝しており、「日本のお父様」として慕っているのです。

 

 

 

敦煌市の孤児100人を支援

 

 半田氏は、中国敦煌市文化経済顧問でもあります。

 

 半田氏が会長をつとめる IFAC では、敦煌市にも小学校を作り、敦煌の孤児100人の「義理の両親」として教育費を送金しています。

 

 「支援百名孤児就学計画」と命名されたこの計画は、甘粛省敦煌の失学孤児100名が小学校に6年間学習するための資金援助のプロジェクトで、 2001年12月から始まりました。

 

 

 

●中国児童慈善家として、 中国国家より表彰

 

中国における大きな児童福祉への貢献に対し、半田氏は、特定非営利活動法人世界芸術文化振興協会会長として、「中国児童慈善家」として中国国家より表彰を受けました。  

 

 

「中国児童慈善家」として表彰を受ける

「中国児童慈善家」として表彰を受ける

 

2002年6月23日「京華時報

2002年6月23日「京華時報

『愛心は無上の宝』

 昨日、第一回「中国児童慈善活動日」総表彰大会が人民大会堂にて行われた。中国児童少年基金会と中華慈善総会の連合主催により、この一大公益活動が繰り広げられて以来、約1億人の人々がこの活動に参加、半年間で計1億3千万元以上の寄付金と4000万元以上に相当する援助物資が寄せられた。表彰大会では、15名が“中国児童慈善家”の称号を得た。写真は、日本の友人深見東州氏と彼の支援を受ける樹人学校の子供たちである。

 

 

【英国】

 

 

エリザベス2世に三度謁見している

 

 英国でも、半田氏の率いる団体が盲人福祉のための活動を行っています。

 

エリザベス女王に謁見 NPO 法人世界芸術文化振興協会(会長・半田氏)が英国で主催したチャリティーコンサートの収益金は、英国の盲人団体に寄付されています。また、英国ブラインドゴルフ協会に、 17 年間の支援を続けています。

 

 これら盲人福祉への長年の貢献を認められ、支援団体の代表である半田氏は、英国最古最大のチャリティー団体、王立盲人協会( RNIB )の副総裁に日本人で初めて就任しました。そして、バッキンガム宮殿でエリザベス女王に謁見を許されました。同団体の総裁はエリザベス女王の従兄、デューク・オブ・ウエストミンスター卿で、エリザベス女王が名誉総裁を務めています。副総裁には、英国国教会 ( 元 ) カンタベリー卿など、 10 名が就任しています。

 

 

 

●教育事業を展開

 

 半田氏は、イギリスでは教育福祉事業を展開しています。王立盲人協会( RNIB )で同じ副総裁同志の英国国教会の ( 元 ) カンタベリー卿と、新しい教育プログラムを実施中で、宗教と言語と民族が複雑にからみ合う地域での、青少年を正しく育成する実験的な教育プログラムを実行しているのです。

 

【アフリカ】

 

 

タンザニアでの福祉活動

 

タンザニアでの福祉活動  半田氏の団体では、アフリカの一部地域においても福祉活動を行っています。 アフリカは、民間組織では到底救済不能と思える地域ですが、セネガルタンザニアやガーナなど、人的なつながりのある所で、 可能な範囲で少しずつ実行しています。  たとえば、タンザニアの僻地のある村に、半田氏が代表を務める団体では、 日々の交通手段に使うボートを寄贈しました。  この村は首都から車で二時間。 しかし、そこから 200 キロ先の村へ行く交通手段がありません。鉄道の駅まで歩いて五時間という村は、 電気、水道、郵便もない地域で、雨期には道が水びたしになるので、鉄道もバスも走っていません。 唯一の移動手段は、海岸沿いの町から小舟をチャーターすることなのです。 村の皆で使えるボートがあったら…という、村人たちの切実な願いを知人から聞いた半田氏は、自らが代表を務める団体を通じて、 村にボートを寄付しました。なぜなら、 半田氏の考える福祉とは、「その土地の人が最も必要とするお手伝いをするのが、本当の福祉です」というものだからです。  このボートは、交通手段だけでなくエビ漁にも使われ、その収益をボートの燃料代などにあてて維持されています。

 

 

 

●ガーナでの福祉活動

 半田氏の団体では、ガーナの心臓財団に2000ドルの寄付も行っています。  さらに、ガーナの4つの医療機関に体温計を20個ずつ寄附しました。ガーナは、アフリカでは一番安全で裕福な国ですが、それでも健康保険制度がないため、大きな病気にかかったら、一般の人はとても治療費を捻出できません。国民の平均収入は1ヶ月5000 円ぐらいなので、輸入ものの体温計は貴重品なのです。

 

 

深見東州氏とは?

皆様はじめまして!

深見東州(半田晴久)氏の事を伝えていくブログにようこそ!

ここでは、深見東州氏の活動内容や深見東州氏の秘めたる思いを共感したことを伝えていきます。

さて、深見東州氏がどのような方か分からない方に以下のWikipediaを引用してきました。

様々な顔を持つ深見東州氏ですが、様々な活動で実績を積んでいる方として知られています。

このブログでは、深見東州氏の活動を皆様にも知ってもらいこのような方がいるということを知ってもらうブログとして日々更新していきます。

少しでも共感を得てもらえると嬉しい限りです。

これからのブログ更新をお楽しみください!

 

深見 東州(ふかみ とうしゅう、本名:半田晴久(はんだはるひさ)1951年3月18日 - )は会社経営者[2][3]宗教家[1][3]、福祉活動家[4][3]アーティスト[5][6]芸術家[3]評論家[3]歌手[7]オペラ歌手[8]画家[7][8]書家[8]能楽師[8]としても活動している[3]

主に、芸術活動や神道家としての活動等を行う際は、深見東州(ふかみとうしゅう)という通名を使用している。学術活動や評論活動及び公益活動や実業家としての活動を行う際は、本名の半田晴久(はんだはるひさ)で活動している。また、劇団活動や小説家詩人として作家活動を行う際は、戸渡阿見(ととあみ)というペンネームを使用している。さらに、上記のあらゆる活動を行う人物として登場する際はレオナルドTOSHU(レオナルドとうしゅう)というペンネームをラジオパーソナリティ名やツイッター上で使用している。過去には、深見青山(ふかみせいざん)という通名を使用していた[9]Wikipedia参照